昭和41年
昭和42年
昭和43年
昭和44年
昭和45年
昭和46年
昭和47年
昭和48年
昭和49年
昭和50年

back

 


 
 
 
 

昭和41年   back

この年の7月から12月の津軽新報は、欠落しています。尾上町の有志が、ね ぷたの製作から絵の書き方の本(総20ページ)を製作の記事があります。尾上 町公民館での講習会の内容をまとめたものだそうです。伝統の保存継承を目的と していました。高校総体が、あった年で、歓迎の意味で、ねぷたのアトラクショ ンとして、黒石高校のブラスバンド演奏、『よされながし』も『ねぷた』と共演 したようです。

昭和42年   back

7月から、ねぷたの製作情勢が、記事になるようになりました。関心が、高く なってきた証拠と思えます。『昨年20年ぶりの前町のねぷたが、市長賞を受賞 したことなどもあり、上町でも予算20万円で、出場予定。一番町町内会は、今 年は見送りの公算が大きい。片裏町でも、予算12万円で、9年連続の市長賞を ねらう。』などと書かれています。さて、市役所のねぷたは、予算などの関係で 今年は、取り止めとなってしまいました。『5日の合同運行には、黒石よされ振 興協議会50名の『ながしおどり』が、色をそえる予定』の記事があります。ま た、審査員も増え、画家金枝芳幽氏、高樋市長、村上市議長、千葉商工会議所会 頭、田村消防長、対馬警察署長、山田ライオンズクラブ会長、加福青銀支店長、 鳴海静蔵氏、佐藤教育長、鳴海商工観光課長、棟方東英小学校長達と名簿が掲載 されています。しかし、審査形態、基準は、まだ新聞でははっきりしていません 。大人人形の部では、金賞、最優秀賞、市長賞を『八頭大蛇』十和田通り一丁目 が、受賞しました。同扇の部、金賞、最優秀賞、市長賞は、前町『三国志』が受 賞しました。合同運行参加台数は、40台で、青銀審査会場附近は、約5、00 0人の人出となっていました。『ネプタ後継ぎ養成へ 黒石青年会議所 来年か ら乗り出す』の見出しで、当時のねぷたの様子が、掲載されています。『前略 市民の中には、ねぷた製作上の技術の向上が、加わればもっとよい黒石ねぷた まつりが見られるのではないか−という声が多い。古い黒石ねぷたまつりを知る 人に言わせると、黒石ねぷたばやしには本来、進行、停止、送りの三種類あるが 、ほとんどまちまちに解釈されており、また扇ねぷたの場合骨の使い方が、間違 っていると嘆く。外枠だけをつくり、一枚の紙を張るのがくろいしねぷたの姿な のだが、障子を張る様式に一本一本内側に骨を渡すねぷたが多いというのだ。後略』これを受けて、黒石青年会議所では、来年から講習会の開催を予定して いるという。

昭和43年   back

この年は、合同運行のコース5日が、変更されています。御幸公園(6時まで集合、7時出発)−内町−電電局(NTT )−前町−中町−浜町−株梗ノ木−駅通り−一番町−浪岡信用金庫前(現北信) −青和銀行黒石支店前−市ノ町−黒石商工会議所前(賞品授与)解散となりまし た。5日の人出は、約2万人でした。黒石警察署への届出は、31日現在市内で 、人形30台、扇43 台となっていますが、合同運行参加の台数は、掲載され ていません。また、御幸公園道路側にサクが、設置されました。また、『青年会議所では、子供ねぷたに力をいれ、さらにはやし の統一にも力をいれる方針』との記事もあります。

昭和44年  back

42年から着工した市役所新庁舎が完成した年です。この年初めて、ねぷたばやしの講習会が開かれました。日程は、7月7日午後 6時から9時まで黒石公民館で、持参するものは、 笛となっています。また、ねぷた絵の講習会も開から、同4,5日に金枝芳幽氏 を講師としていました。さて『ねぷた』か『ねぶた』かのアンテナの記事が、の っています。黒石青年会議所に聞くと『ねぶた』との回答を得たようです。現在 は、『ねぷた』を名のっていますから、いつころから『ねぷた』になったのか、 不思議なところです。 さて、ねぶた審査合同運行申込受付けの広告が、掲載さ れています。これによりますと、運行コースは、昨年同様です。参加要項説明会 が、31日午前9時から黒石警察署で開かれました。代表者は、必ず出席のこと とあります。申込締切日は、8月1日になっています。合同運行参加台数は、昨 年より16台減り、32台で、人形11台扇21 台の内訳でした。入賞ねぷた も変わり、人形の部では、緑町『大蛇退治』が、最優秀賞、市長賞を射とめまし た。扇の部では、金鉄ねぷた(木村建鉄商会と江戸っ子屋協賛)の『三国志』が 、受賞しました。

昭和45年   back

この年は、久々に市役所ねぷたの運行が、市、組合、互助会の3者の合同で決 定されました。また、市議会でもねぷたの方向性が、話題となったようですが、ねぷた主催経費30万円の内黒石市から5万円、黒石観光協会から5万円のあ わせて、10万円が初めて、(社)黒石青年会議所に交付されることにもなりま した。さてねぷたの熱は、相当であったようで、初めて『ねぷたにいたずら』の記事があります。いたずらされたのは、緑町と市役所のねぷたでした。いたずらは 、穴をあけたり、紙をさいたりするひどいものが、報道されています。運行方法 は、昨年同様でしたが、初めて、『祝黒石ねぶた祭り』合同運行の一面広告が、 出されています。また、賞の発表記事はありませんが、32台が、参加 し、盛 大に運行されたようです。

昭和46年   back

だんだんねぷた製作の時期もはやくなってきたようで、6月12日付けで、一 番町、山形町、緑町等の小屋掛けが、報道されています。記事によると、一般に ねぷた運行開始まで、50万円ほど必要とし、昨年の一番町のねぷた人形(三国 志)は、150万円くらい必要としたようです。また、このあたりから青年団も 組織強化を目的に盛んにねぷたをつくりはじめたようです。そしてこの年ねぷた の審査基準が改められました。まず、『大きさが、高さ巾共に3.5M以』内とされました。これは、交通量の増加に、普段の運行もスムーズにする必要がでてきたためで す。また、『最優秀賞も、一団体に限らず数団体とする』ようになりました。こ れは、ねぷたの賞への異常な高まりをおさえ、ねぷたへのいたずらを防止するた めでした。また、審査員に一般市民もいれ、審査結果も当日発表へ変更する予定 になったようです。合同運行の日程コースは、昨年通りで、参加台数は、11台 増え、42台でした。内訳は、大人人形6台、同扇12台、子供ねぷた22台内 人形6台扇16台というものでした。賞金をひろった青年の話が、ありますが、 いつからどれくらいの賞金がでていたかは、はっきりしてしません。また、賞の 発表をみると、『ハネ人』、『はやし』などの名前がみられ、引き手の他にハネ人を加えたねぷたも相当数いたものと想像されます。また、はやしも評価されてきたようです。写真(P  )は、当時の運行風 景です。  また 特別賞(鼓笛隊)光田寺小PTA子ども会の名前もみられ、当 時、さまざまなかたちでねぷた祭りをたのしんでいた様子をしのばせます。

昭和47年   back

現在のねぷた祭りの運営、審査の元ができたのがこの年であったと思われます これまでも、ねぷた懇談会は、開かれてきたようですが、6月26日ねぷた愛好 者など約40名が、集まり、『コース、審査、ハヤシ、今後のねぷた』が、話題 となったようです。審査日は、小型が、公園−保健所前−大工町−上町(青銀前 審査)−横町−前町横町角で解散。大型は、公園−公民館横−内町さがる−大工 町−上町あとは、小型と同じ。合同運行日は、公園−市の町交差点左折−市の町 −青和銀行前(賞品授与)−一番町−ストゼン石油前解散となりました。事前に 行ったアンケートによって、子供達が疲れる、終わる時間が遅いなどの意見が、 多かったためでした。コース変更の必要なしの意見もあったようです。さて、審 査については、審査無用の意見もありもめたようですが、審査員の構成の見なお しなどが、考えられたようです。また、学識経験者の意見も参考にして今後さら に検討していくことになりました。また、はやしは、統一する方向が確認されま した。今後のねぷたは、『子供ねぷた』を主体にとの意見もありましたが、結論 まではいたりませんでした。さて、学識経験者との懇談によって、新しい審査方 法が、決定されました。『審査員のもち点は、ねぷた本体が300点笛100点太鼓100点合計500 点とする。但し、最高点と最低点は、除外する。』方法となりました。現在の審査基準の原型となるものと思います。また、『 無審査ねぷた』も実施されました。これは、ねぷた製作後継者の育成を目的とし ていました。さらに、必要以上のねぷたの賞への競争心をしずめる効果もあった のではないでしょうか。これは、ねぷた絵師に対して授与されたものですが、ね ぷたに対しては、優秀賞、絵師には、特別功労賞をだし、金枝芳幽氏(扇の部)と山崎恒雄氏(人形の部)が、無審査の対象と決定されています。また、『子供ねぷたと大人ねぷたの区別は、自己申請と するが、実際の判断は審査員の多数決で決定する。』とあります。これは、現在 でも同じですが、当時子供ねぷたの中でも、大人が製作したものもあったのかと 思われます。また、『片浦町のねぷたのはやしが、黒石らしい特徴をよく残しているので、正調と したい』との記事もあります。さて、青年会議所の運営費用は、昨年が、407,912円、今年は予算6 6万円で、賞金に40万円をあてる予定となっています。単純に40台出陣で、 一台当り一万円の計算となります。さて、7月20日には、ねぷたばやしの講習 会が行なわれましたが、『進め、とまれ、もどり』をはっきり区別することに重点がおかれ、約50名の受講者があったということです。この際、テ ープ録音され、受講者以外にも普及に努めたようです。ねぷたの高さについても 改善がなされました。高さは、折まげ、屈折が認められ、最小4M以内であれば、よいこととなりま した。巾は、4M以内でした。また、黒石中学校では生徒主体のねぷた運行に父母の許可学校の許可同伴者を 町内PTA関係者とするなどの注意をだしています。学許についての記述は、こ れが恐らく最初ですが、その歴史は、よくわかっていません。合同運行は、33 台の参加で、子供ねぷたの参加が6台程と少かったようです写真(P  )は、 当時の運行風景です。規定に関係なく、初出場の高樋建設運転者一同の人形ねぷ たは、高さ4.5M巾5. 5Mと報道されています。規定が、あった割には、 結構いいかげんな所もあったようです。また、賞には、『遠距離賞』『はねと賞 』などもみられます。人出の方は、青年会議所発表で期間内15万人と盛況であ ったようですが、黒石警察署からは、ねぷた規格を守るように強い指導がだされ たようです。さて、大板町町内会では、12日ねぷた運行(『竜王と金剛力士』 岩崎忠弥氏作)をし、『よされのやぐら』の上に、設置されることになったのも この年でした。また、さまざまな変更が行われた時でしたので『ねぷた反省会』 が、22日実施されています。本当にねぷたにたいする関心が高まってきたのだ と思います。コースの変更は、歓迎されたようです。あわせて、踊り(はね人) も歓迎されています。人形のできばえも評判がよいようですが、大きさが、問題 とされました。

昭和48年   back

4月早々から、黒石警察署、青年会議所、ねぷた製作者、ねぷた参加予定団体 、町内関係者が集り、ねぷた懇談会が開かれています。会議の中心は、ねぷたの 大きさに集りました。黒石警察署では、『1。ねぷたの大きさは、高さ4M 幅 5M 2。合同運行は、八間道路で行なう 3。時間は、1日から6日では、午 後 10時まで7日は、午前10時から正午まで 4。一方通行は、逆進しない 』との要望がだされました。一方市民サイドからは、『高さは、4.5Mまでと し、八間道路の運行には、難色をしめし、7日の運行は、9時から正午まで』の 要望がだされたようです。
黒石青年会議所から、ねぷた要綱が発表されました。以下抜粋です。『ねぷたの高さは、高さ4.5M幅5M。運行時間は、1から6日まで、午後 10時まで。7日は午前9時から正午まで。特に7日は、柵の木から前町東邦生 命角までは、交通事情を考えて西方へ一方通行とする。審査日合同運行コースは 、公園(午後7時出発)−さわなり角−七五三(みち銀角)−青和銀行(現在カ ネチョウ駐車場 審査会場)−ローリエ角解散 合同運行表彰日は、公園−やま もと商店(上町)−青銀黒石支店(表彰場)−横町−十文字ストゼン角解散 雨 天は各順延 審査は、大人人形、扇、子供人形、扇の4部門。採点方法は、絵、 照明、造作、はやし各100点の合計400点によって採点。大人ねぷたの最優 秀賞は、各部門の95%以上の得点。特別賞は、審査点以外ですぐれたもの。連 続参加の団体には、ほかに賞をあたえる。審査員は、広く一般市民を含め15名 。無審査ねぷたは、過去3年間各部門で第一位の製作者のねぷたで、これには、 優秀賞があたえられる。』となっています。合同運行には、約40台のねぷたが参加して、ますます盛ん になってきたようです。さて、8月9日には、ねぷた反省会がさっそく開かれま した。席上、合同運行のコースが短かすぎるとの声が多数よせられました。また 、無審査ねぷたには、優秀賞ではなく違う賞をあたえるべきとの声もでています 。またこの年、英国婦人イザベラ・バード氏の『日本奥地旅行』の黒石関係の文が紹介されています。

昭和49年   back

この年は、市制20周年の年です。また、市内の一方通行規制も1月から実施されました。また、この年から、審査日が、2日に変更になっています。5月 16日1回目のねぷた懇談会が開かれ、市制20周年に際し、『よされのながし 』にねぷた(優秀賞のもの)を合同で運行する案が、関係者からあり、懇談会に はかられおおむね、了承されました。また、大きさは、昨年同様ですが、一方通 行規制のため運行コースの見直しが必要となりました。さて、後大工町、甲大工 町、乙大工町、内町が合同で、費用30万円ほどで、初めて人形ねぷた(『国引 き』岩谷幸雄氏製作)を製作することがきまりました。一方通行は、当時かなり 話題となったのですが、結果、一方通行を守るということで決着しました。審査 日は、8月2日で、コースは、公園−保健所前−旧黒石小通り−七五三−一番町 −ローリエ角解散。合同運行は、8月5日で、審査日と同じと決定されました。 合同運行申込みは、7月25日から28日まででした。また、審査基準は、昨年 並みとなっています。ねぷたのいたずらも、毎年のように話題となっています。 合同運行は、参加台数も増え、大小50台の参加となりました。内訳は、大人人 形11台、同扇19台、子供人形6台、同扇16台でした。見物人も2万人余り と発表されています。以前にくらべて、大人のねぷたが、増え、子供ねぷたの参 加が減少していることがわかります。8月8日付けの津軽新報では、『黒石ネプ タ出来も数も最高だが』の見出しで特集を組んでいます。『今年の黒石ネプタが 豪華で見応えがあり、笛、太鼓のハヤシも上達(講習会の効果があらわれた)。 観衆も”よされ”以上という評価は関係者以外の一般観衆も同じである。中略   ところが、今年のねぷたが豪華で製作技術も非常に進歩したのと比例し、黒石の特徴である高欄が青森ねぶた式に軽視され、見送りを浮立たせる配慮が 欠けてきた点を懸念する意見が多い。ねぷたの前で踊る”ハネト”は、今年にい たって俄然多くなり、黒石ネプタのイメージとあわない様子を見せてきたが、こ れに対する意見は二分され一方の意見は若い者、特に若い娘のネプタ参加は、ああいう踊りが適当である といい。片方では踊りのない方がよいという意見である。後略』黒石ねぷたの光 とその影の部分が問題として浮きあがってきたのだと思います。さて、市制20 周年記念に際し、東京黒石会では、『東京銀座まつり』に黒石ねぷたの運行を企 画しましたが、残念ながら幻しのものとなったのもこの年でした。また、姉妹都 市アメリカのウエナッチ市の一行が、10月3日に来黒し、4日には、青年会議 所歓迎行事として人形(内町、大工町連合)と扇ねぷた(東新町)2台が運行が されました。

昭和50年   back

この年は、『市民総参加型のまつり』であるとの理由から市の補助金が、50万円に増額 され、ますます、ねぷた祭りが盛んになってきた年です。ねぷた懇談会は、2回開かれ、コース についての要望がだされていますが、決着していません。『公園−さわなりの間 が、一方通行となっているが、逆進でないか。』という内容でした。また、無審査制度は、この年は、無くなりました。黒石ねぷた愛好会と村元隆善(25)氏につ いてさてねぷた審査員の構成が、決まりました。斎藤喜代治(黒石公民館長)、 泉秀雄(市連PTA会長)、北山正之(市連青団長)、横山園吉(商店連合会長 )、佐藤健蔵(教育長)、大久保惣之助(商工会議所会頭)、千葉元造(美術振 興会長)、横山吉男(文化振興会長)、福士一郎、鳴海静蔵、川端柳助、須藤厳 博、寺口てる、宇野清治(学識経験者)、新成人2名の構成で発表されています 。さて、この年の申請書類は、道路使用許可申請書2部、うち一部には、県証紙 200円添付。ねぷたの設計図2部。1日から7日までの運行予定表2部。審査 合同運行申込書1部となっています。申込みは、28日厳守。許可証は、黒石警 察署より青年会議所へ一括して渡されることも決定されました。大きさは、幅、奥行5M、高さ4.5Mとなりました。また、当時は集合の早 い順に出発することも書かれています。合同運行の参加は、子供人形3台、同扇16台、大人人形12台、同扇30 台、合計61台のこれまでにない程の参加となりました。コースについては、昨 年同様ストゼン石油解散となっていますが、昨年の記事では、ローリエ前解散と なっていますので、ローリエ角でまがってもよいねぷたもあったが、普通は、ス ト善石油店前まで運行したのではないかと想像されるところです。また、合同運 行審査日には、秋山ちえ子氏(評論家)やこまどり姉妹(妹)の姿もみられ、黒 石ねぷたの知名度があがってきたように感じられます。また、参加台数が、17 台余りも増えたため、みち銀角まで、子供扇ねぷたをせりだし、運行させました 。そして、県下最高参加数を誇るようになりました。賞をみますと、無審査のも のが、数台ありますが、これは、申込みのおくれたねぷたと思われます。(?) また、この当時から、ミニ金魚ねぷたのプレゼント(浅瀬石児童館母親クラブ) とか、老人ホームへねぷたプレゼント(藤田克文君)などの記事がふえてきます 。ねぷた反省会は、ねぷた祭りの全体を考えるためにその重要さをましてきまし たが、この年は、コースの延長、出発順の抽選、市長賞などの復活の要望が話さ れました。