目次
昭和51年
昭和52年
昭和53年
昭和54年
昭和55年
昭和56年
昭和57年
昭和58年
昭和59年
昭和60年

back


 
 

昭和51年 back

この年は、初めてねぷた写真コンテストが、行われた年です。また、県内一の参加台数を誇る黒石ねぷたの宣伝をもっとしたほうが、よいとの意見も強まってきました。さて、ねぷた懇談会 では、現在のコースでは、弘前方面への交通量が、多くて危険なので、公園−さ わなり−七五三コースをのぞむ声が多かったのですが、黒石警察署は、一方通行 の関係から難色をしめしました。また、合同運行の回数を増やしては、どうかと の意見もだされました。審査については、『はやし』を別採点の特別賞とする方 向で検討されました。また、写真コンテストを、実施することも発表されました 。金賞(1名、1万円)、銀賞(1名、5千円)、銅賞(2名、3千円)、入賞 (20名、記念品)の報道があります。写真(P )また、ねぷた功労者として 、工藤英雄氏(大町2丁目)、山口十郎氏(ぐみのき1丁目)、岩谷幸雄氏(ぐ みの木3丁目)、雪田克美氏(ぐみの木1丁目)、村元隆善氏(花園町)の5名 が、表彰され、無審査製作者となりました。無審査製作者は、これによって7名 となりました。さて、合同運行の参加ねぷたは、58台でした。人出は、2万人 で、無審査19台、優秀賞10 台、この他奨励賞、創作賞、ハヤシ賞などが1 6名の審査員によって決定されたとあります。また、『東京から一行16名の観 光客があり、大黒デパートの好意で、デパート前のいす席で、観覧し喜んでいっ た』とあります。また、『東京日野市で、追子野木出身の方がいて、扇ねぷたを 作り運行した』のニュースもあります。さて、NHKの8月5日の放映は、市民には、あまり評判がよくなかったようです。『50分番組で、青森、弘前が各25分、大川原の火ながしが2分程、その後 、ネプタ10台程が、西にむかって夕焼けを正面にすえ、背後からの撮影で、バ ックにつがるじゃみせんでフィナーレという放送であったらしい。哀愁のねぷたの表現であろうが、勇壮なねぷたと は、ほど遠く関係者は、がっかり』とあります。さて、ねぷたの反省会が、開か れ活発な意見が交換されたことが、報道されています。無審査ねぷたの質が、問 題となり、基準以下のものは、無審査としない方向がしめされました。また、は やしについても、講習会の長期化、初心者、中級、上級とわけてはなどの意見も だされました。それでも、一番の要望は、運行コースの一方通行の件でした。また、『黒石ねぷたの特徴の高欄を保存してほしい。さらにねぷた保 存会をつくり、青年会議所ともどもねぷたの将来をかんがえていくべき』との声 もでてきました。『4Hクラブの十和田湖町での全国大会で浅瀬石のねぷた運行が、大成功』の記事もあります。

昭和52年 back

この年は、あすなろ国体のあった年ですが、『無審査ねぷた制度』が、廃止された年です。また、コミュニテイ推進のためのねぷたの意識も強くなってきた時期で すさらに昨年にひき続き NHKの全国放映も行なわれました。コース賞などは、昨年同様ですが、無審査は、なくなりま した。参加台数は、68台を記録し、大人人形の部15台、同扇37台、子供人 形2台、扇14台という構成でした。8月5日には、姉妹都市の宮古市から、朝 野球交換団と一緒に子供達も来黒し、上山形町のねぷたに参加の記事もあります 。さて、ねぷた反省会は、8月10日に開かれました。『合同運行については、 御幸公園からの出発順に、遠距離優先、後は抽選とすることが、およそ決定され ました。また、コースについても、警察にひき続き要望すること。発電機の大型 化にともない、発電機を自動車にのせるよう許可が、欲しい。審査の点数の公表 の要望。』などがだされました。青年会議所からは、はやしを3階級にわける方 向の説明がありました。また、ねぷた保存会の結成は、もちこされました。さて 、NHKのテレビ放映(8月5日午後8時から50分間)についての記事は見あ たりません。どのようなものだったのでしょうか。また、『尾上町高木青年団』 の郷土の歴史を題材とした『高木地蔵館の合戦』の、テレビスポット放映の記事 もあります。また、緑町のねぷたをお盆時に、旧国鉄黒石駅前に展示、あすなろ 国体選手にミニ金魚ねぷたをプレゼント(黒石生活改善グループ)などのトピッ クスも報道されています。

昭和53年 back

(社)黒石青年会議所認証20周年の年です。念願のさわなり角のコースが、実現した年でもありました。早々と、黒石ねぷたの福島県白河市への遠征が、決定してい ます。これは、5月13日『東北まつり』の前夜祭に、参加するものです。御幸 子供会の『不動明王』(村元隆善氏作)をもって、御幸子供会や青年会議所会員 共々でかけました。また、このねぷたは、黒石青年会議所20周年記念パレード 前夜祭(5月20日)にも参加し、担ぎねぷたと一緒に運行されました。写真( P  )は、前夜祭の様子です。はやしの講習会が、5月から初められ7月には 、笛、太鼓それぞれ、初級、中級、上級合計72名の合格者名簿が、掲載されて います。ねぷたの受付は、20日から25日までと早くなっています。規格、は 、同じですが、出発時間は、昨年から6時45分出発、そして、公園−さわなり 角以下昨年同様となっています。興味ある話題として、『交通安全アイデア賞』 が、ありました。これは、増加の一方の交通事故対策として、黒石市が、ねぷた 本体、先導トウロウなどに交通安全をPRするアイデアのすぐれたものに、金一 封(5千円)と賞状をあたえるというものでした。審査員は、黒石署交通課長、 市交通安全協会副会長、市民サービス課長が、あたったと伝えられています。さ て、2日の合同運行は、大小66台の参加でした。ねぷたは、遠距離以外到着順 の出発とあって、緑ケ丘町内会の扇ねぷたは、五時に公園に到着、朝野球終了と ともに入場の記事もあります。また、『NHKの全国放送は(12日朝)今年も あり、取材していた』ことも報道されています。

昭和54年 back

『黒石ねぷたばやし保存会』が、はやしの保存、普及を目指して結成された年 です。また、出発順が、抽選になった年でもあります。
さて『黒石ねぷた全国紹介』とNHK教育テレビで、「みんなのせかい 子ど もねぷた」の題で、放映されたようです。六郷保育園とはやしの講習会、運行風 景が、撮影される予定となっています。さて、3月から発表された要綱では、申 込み受付け、20日から25日、必要書類運行スケジュール表、小屋設置場所の 地図、ネプタの寸法となっています。審査は、大人人形、大人扇、子供の部の3 つで、審査得点も、1 絵、照明 2 造作 3 はやし 4 総合の合計40 点となっています。さて、参加台数は、大人人形14台、同扇53台、子供扇5 台、同人形1台、合計73台となっていました。ただ、参加台数の増加によって 、合同運行終了まで、4時間かかったと伝えられています。さて、反省会では、 『審査日を2日間に。抽選の出発順の再考を。』などの意見がだされました。ま た昨年に続き、今度は福島県会津坂下へのねぷたの遠征は、御幸子供会(『項羽 』)の協力で8月27日に出発しました。はやしは、ねぷたばやし保存会から1 5 名の協力があったようです。

昭和55年 back

この年は、黒石ねぷたのポスターが製作された年です。また、出発順が、現在のように抽選になった年でもあります。さて、2 月26日ねぷた懇談会が、開かれました。話題は、ねぷた参加台数の増加への対 策でした。この時から、合同運行出発順が、7月29日の警察署での打合せ会で 、抽選されることとなりました。さらに、抽選しなかったねぷたや午後3時まで 公園に集合しなかったねぷたは、その後の先着順となりました。また、子供ねぷたは、すべてに優先とし、午後6時までに到着した遠距離ねぷたも優先となりました。また、運行は、 午後10時を限度として、さらに『はやして』の金銭による『借り子』も注意さ れました。また、踊り子のいるねぷたも運行時間の長さや、黒石のねぷたらしさ から話題となったようです。この件は、相当な市民の関心事であったようで、記 者レポートにも取りあげられました。また、ねぷたにもっと親しんでもらおうと 3月23日には、『黒石たこの会』の協力をえて、『親子金魚ねぷた製作会』も 開催されました。また、黒石ねぷたのよさを知ってもらおうと、約3千枚のポス ターが製作され、国鉄主要駅や観光団体などに配付されました。大黒デパートが 、開店10周年を記念してねぷたを製作したのもこの年で、誰でも参加できた市 役所ねぷたにかわる存在として人気を集めたようです。さて、合同運行には、昨 年を上まわる80台の申込みがありました。人形大人14台、同扇59台、子供 人形2台、同扇4台の参加でした。

昭和56年 back

この年は、ねぷた祭りアンケートを行いました。ねぷた審査員の構成を紹介します。◇絵、照明須藤厳博(画家 )、川端柳助(画家)石沢源峰(書家)千葉元造(観光協会会長)◇造作横山吉 男(文化振興協会会長)北川弥一(ねぷた絵師)豊巻哲郎(教育委員)鳴海静蔵 (郷土史家)◇はやし大溝栄久(ねぷたばやし保存会会長)神秀雄、安田輝男。 久保田鉄矢(以上ねぷたばやし保存会)◇総合横山園吉(商工会議所会頭)村上 方一(教育長)高橋精一(市連PTA会長)木村滋(連合青年団長)の16名の 方々でした。さて、合同運行には、81台の参加が、ありました。(参加団体別 掲)残念なことに本年もねぷたへのいたずらが大きく報道されています。
さて、ねぷたアンケートの結果が、報道せれています。回答は、83団体の内73団体のもので、ねぷた祭り の経費については、人形では、140万円から160万円に約4割が、集中して います。扇では、40万円から80万円に14台となっています。また、かどづ けは、なくてもよいの回答は、6団体だけでした。さらに、運行の中心になって いるのは、有志会が 36団体、町内会18団体、子供会11団体の結果となっ ています。およそ半数が、愛好者で運営されているようです。さて、はやしの講 習会には、53団体が、誰かを参加させていることもわかりました。はやしへの 関心の高さもそうですが、ねぷたの審査でのウエイトの高さも影響していたよう です。また、宮古市制40周年記念に9月14日御幸子供会のねぷた(『前田犬 千代奮戦の図』山崎恒雄作)が、遠征いたしました。相当な人気を博したことが 伝えられています。

昭和57年 back

この年は、十和田湖『くにざかいまつり』へ『ねぷた』と『よされ』の参加が、行われた 年です。また、昨年81台の参加があったねぷた祭りは、扇の参加台数に対して 人形ねぷたの参加が少ないことが、話題となった年でもありました。合同運行の 申込は、7月1日から、21日までとなりました。申込手数料は、1、000円 から1、300円となり、傷害保険の制度の加入もすすめられました。審査は、 絵・照明、造作、はやし、印象の4部門、16名の審査員でした。合同運行の順 番は、7月24日の打合せ会で抽選となりました。また、当時は、雨天順延がし ばしばあり、その決定連絡方法が問題となっていましたが、雨天順延は、午後1時決定、連絡は、市内 9箇所の電話と広報車によって、 通報確認できる方法となりました。さて、ふたをあけてみると、合同運行参加台数は、75台で、台風の余波の中 、ビニールをかぶったねぷたが、審査に出陣と伝えられています。また、韓国氷 川ライオンズクラブの一行が、来黒し、ねぷたを観覧した事も報道されています 。また、この年初めて東地区合同運行が、八間道路で3日におこなわれています さて、8月10日には、さっそく反省会が、開かれました。要望の主なもの『審 査を2回にわけてほしい。コースを途中でぬけられないか。運行コースを八間道 路へ変更できないか。ねぷた絵師のプロとアマを別々に審査できないか。もうす こし、PRに力を入れられないか。』などでした。これに対し、青年会議所側で は、『長時間の審査は問題が確かにあるとしながらも、運営上の理解を求め、八 間道路は、集合場所に問題がある。観客の様子からも途中では、ぬけてほしくな い。プロを目指すアマとして、裾野のように考えていく。『黒石は、コニュニテイのねぷた』だとしながら、もう少しPRを考えたい』としました。さて、11月29日からの北東北の郷土芸能の競演をめざした第 一回十和田湖『くにざかいまつり』には、境松ひまわり子ども会の協力をえて、 黒石青年会議所共々総勢200 名程で堂々のねぷた出陣をしました。

昭和58年 back

この年、61年8月1日付けの津軽新報によりますと、『12月、『分銅組若 者日記』が、浦町2丁目の篠村きみさん宅で発見された』と知ることができます 。この年は、ねぷたの運行時間短縮をする必要から、コースが、変更となった年 です。『さわなり角から、内町交差点−みち銀、あとは、昨年同様』となりまし た。運行台数の増加から、午後6時になると、交通禁止となったので、それ以降 、出発までねぷたを内町の通りにせりだしたのだそうです。また、受付は、7月 1日より20日までとなっておます。出発順の抽選は、23日の打合せ会で、審 査員は、16名。審査部門は、絵・照明、造作、はやし、総合の4部門、参加は 、大人人形、同扇、子供の部の3部門となりました。子供ねぷたの参加が、少く なってきたためと思われます。さて、この年の合同運行参加台数は、80台と盛 大な祭りとなったようです。さて、『ナヌカ日の夜、緑ケ丘町内会のねぷたが、 雇用促進住宅敷地を夜ねり歩いた』ことが、報道されています。国内各地からの 入居者達の子供たちに、黒石ねぷたをひいてもらい、祭りを楽しみたいという住 宅住民の要望にこたえたものでした。隣接した町内のよい交流として伝えられて います。

昭和59年 back

この年は、市制30周年記念の年です。これを記念して14年ぶりに市役所のねぷたが、運行される事になりました。また、門柱が製作された年でもあります。また、2月1日には、『つがるねぷた絵展が、採光堂で、山崎 恒雄氏の50点が展示』と報道されています。さて、この年は、審査員の数が、 各部門2名ずつ増員され、計24名となりまいした。このため、審査点の最上位 点と、最下位点が、両方カットされる制度も復活しています。また、ねぷたの規 格も、ねぷたの変化に対応し、『油圧等による伸縮、扇の頭の折曲げで、門柱が 通過できれば、よい』ことになりました。合同運行コースは、昨年同様で、内町 交差点−みち銀−ストゼン角となっています。ただ、『申込手数料(県証紙、申 請用紙代)は、1、500円』と200円値上げとなりました。また、この年7 月22日には、小中学生を対象に扇ねぷた製作講習会が、『黒石凧の会』会員の 協力で行われました。さて、合同運行は、79台の参加で、大人人形13台、同 扇63台、子供扇3台の内訳でした。また、ねぷた期間中には、『大館レオクラ ブの来黒、山形県立川町青年団と黒石連合青年団の交流など』が伝えられていま す。さて、この年12月2日付けで、『黒石青年会議所30周年記念世界一のね ぷた製作を内定』と報道されています。

昭和60年 back

この年は、世界一のねぷたと太鼓

が、製作された年です。まず、1月7日には、『世界一のねぷたと太鼓をつくる会』設立総会(発起人代表佐川伸男が、開かれ、会長には、宇野善造氏が、選出されました 。そして、1月9日、『黒石ねぷた製作者の会』(山口十郎会長)が、設立されました。これは、世界一のねぷた製作にあたり 絵師の責任者をきめて、皆なで協力して製作するためのものでした。さっそく、 1月16日には、黒石ねぷたばやし保存会(大溝栄久会長)から、『つくる会』 へ40万円の寄贈が決定されました。世界一のねぷたと太鼓は、黒石青年会議所 が黒石ねぷた主催30周年の集大成として、そして一緒に歴史を築いてきた市民 とともに、新たな黒石発展の礎えとなるように企画されたものでした。3月には 、御幸公園内に高さ11.25Mものねぷた小屋がたてられ、6月8 日には、 運行予定となりましたが、ねぷたの大きさは、黒石特有の高欄と見送りのついた もので、高さ9M、幅 12M、奥行8Mのねぷた、そして、太鼓は、直径3. 8M、長さ4.8M重さ2トン以上と、まさに世界一のものとなりました。そし て、ねぷたの題名は、釈迦御一代記より『シッタ太子とダイバッタ戦うの図』(山崎恒雄氏原画製作 )と決定しました。さて、つくる会では、市民会員(年会費1、000円)を募 集(5月18日現在1、600名)し、5月の中旬には、会員の協力をえて、高 欄の色付けが、また、黒石職員582名、また市議会議員は、全員5口加入など 続々協力が、行われました。また、世界一ねぷたグッズが販売され、トレーナー 、Tシャツなどを売出しました。5月31日には、世界一の太鼓が、御幸公園に 到着しました。また、同夜には、世界一のねぷたに火が、いれられました。60 Wの電球2,400個というものでした。現場には、黒石消防署から化学消防車 も出動というものものしさでした。また、世界一の太鼓には、市民からの名称募 集で、『もつけ太鼓』(黒石市松葉町中村弘明氏応募)と命名されました。さて 6月8日には、(社)黒石青年会議所創立30周年前夜祭として、世界一のねぷ たと太鼓が、午後6時半より、未曾有の観客をあつめ、おひろめとなり、公園内 を運行いたしました。その後、世界一のねぷたと太鼓は、公園内で見学できるよ うになり、市内外からの見物客を大勢ひきつけました。また、黒石郵便局では、 世界一にちなむ切手帳(タトー)を発売し、黒石職安でも、業務概要の表紙に世 界一のねぷたと太鼓の写真を使うなど、さまざまな協力、協賛事業が行われまし た。7月31日ねぷた祭り前夜祭として、大勢の観客を集め、『世界一のねぷた 』と『もつけ太鼓』が、公園内で運行されました。そして、この年の合同運行は 、審査は昨年並で、審査員24名。ねぷたは、79台の参加で、子供人形 1 台 、同扇 2 台、大人人形9 台、同扇67台でした。コースは、昨年と違い6時 45分、公園出発−さわなりーみち銀角−ストゼン石油角解散となって います 。さて、市の活性化に大きな功績をしめした『世界一のねぷた』は、保存がのぞ まれ、市議会でもとり上げられましたが、あまりにも大きいため移動が困難、さ らに維持保存の経費も考えられ、結局、とりこわされる事となりました。9月7 日は、雨でしたが、50発の花火におくられ、世界一のねぷたは、多くの市民に 多くの思い出を残し、おしまれながら、解体され、御幸公園で『火流し』として 、焼かれました。さて、『世界一のねぷたの高欄武者絵部分は、有償で販売され ましたが、黒石警察署には、武者絵が、寄贈された』と報道されています。現在 これは、黒石警察署玄関右に飾られています。この年、『黒石ねぷた製作者の会 』主催で、小中学生のねぷた絵の募集、展覧会(9月20日)が、行なわれまし た。その後も、このねぷた絵展は、続けられ、毎回多くの作品を集め、現在10 回目を数えています。