ねぷた放談
ねぷた製作者の会(山口十郎会長)は、昭和60年の世界一のねぷた製作をきっかけに結成され、その後も定期的な集まりやねぷた図画展等を開催し、今年10周年を迎えることになりました。記念事業として、津軽こけし館での会員作品展の開催なども企画していますが、7年3月5日の集まりでねぷたがテ−マにした放談会を開きました。
出席者 山口十郎・山崎恒雄・北山盛治・寺口健一・工藤盛
村上鑛一・進行藤田克文・記録川守田健造
藤田 人形ねぷたを作っての感想はどうですか。
山崎 出来上がったのを見てどうしても不満は残りますが、感動はひとしおです。不満足・くやしい−ということがうまくなっていく原動力と思っています。当時は、山口会長よりもいいねぷたを作りたいという思いが強かった時代です。周りの人の評価を聞くことは、大切なことですが、悪い評価だと多少腹は立つこともありました。
工藤 周りの人はパッと見で評価します。特別に基準がないことは、当然といえば当然かも知れません。
藤田 昔の作り方は…。
山口 樽みたいな胴まず作り、それに着物を着せていく方法です。組み師と絵師が役割分担をしているため、結構意見が合わないこともありました。飯練りや竹けずりなども分業・専門家していました。人形を一体ずつ作り、それを台に上げていましたので、台の大きさに比べればかなり高さのあるねぷたばかりでした。
山崎 顔の部分は、あとではめこむ方式で作りやすいばかりでなく描きやすかったと思います。竹材を使っていたので一番いい方法だったのかも知れません。
村上 昔はよく竹を買いに行かされました。寸法どうり割ってもらうのですが、黒石には竹屋が二軒あったように記憶しています。
山口 葬式に使う飾りの傘の竹までも使ったものです。
北山 中学校のころまでは確かに竹で作っていました。
村上 村で長谷川達温に頼んで作った人形は、全部竹でした。 山崎 私が人形を全部針金に替えたのは昭和四十二年です。山口会長は、竹と針金をまだ併用していた時期です。青森ではすでに全部針金だったので、それまでよく勉強に行きました。
北山 竹に巻紙を張っていたのが、針金に変わったことで能率は相当アップ下と思います。
藤田 会長はどんな人形を主に作っていましたか。
山口 武者と化物や虎などの組合せをこのんで作り、手足は台から意識的にはみ出させていました。それまでの人形と大分違っていたのも、青森の影響を受けたせいかも知れません。
村上 直立不動よりも動きのある人形で好きでした。
山口 運行でよく電線を切ることがあり、特に信号機を壊した事件でどこの団体も名乗り出なかったこともあり、警察から高さに制限を受けるようになりました。その制限で、結局、高欄を詰めるしかなくなり、三段や四段の人形も出現しました。
藤田 青森はもともと町内単位出していたのが、企業化や観光化・大型化してしまいました。
山口 NTTに勤めていたので、四間ぐらいの大型ねぷたを作ったことがあります。もっとも仕事扱いでしたが、大変だったという思いが強く残っています。
藤田 照明についてはいつごろから発電機になったでしょうか。
寺口 今のねぷたに比べれば本当に小さく、台も一間半ぐらいでしたが、四十二年に初めて発電機が使われたと記憶しています。当時の音の高い発電機でしたから、囃子方が全然聞こえない有様でした。
山口 一時カ−バイトも使われていましたが、火傷事件を最後にやめさせられた経緯もあります。バッテリ−も充電や光量
などの問題であまり普及はしませんでした。
藤田 色は…。
山口 濃い色が手に入らず、食用の色しか使えませんでした。染め色を使ったこともあります。
山崎 会長のねぷたで、特に、水色はどこのねぷたにない何ともいえない味のある色合いでした。
寺口 ちょっと色合いは暗くなりますが、岩谷さんはポスタ−カラ−をよく使っていました。色ではありませんが、眼を輝かせるために油を臘に混ぜたりいろいろ工夫・実験してみてもなかなかうまく行きません。会長にちょっと聞きに行けばいいのですが、雲の上の人で結局行けなかった思い出があります。
村上 色は市内や弘前で買いますが、なかには製造されなくなったものもあります。
北山 金魚や鯉の消毒薬に使える色もあります。
山口 とにかく今の染料の色は本当によくなったと思います。色を混ぜなければなかなかいい色にはなりません。個性を出すためにも工夫と感性が必要だと思います。
山崎 元の色が決まっているので、溶かし方の程度は本当に微妙です。明るさやしぶさで引き立てる色を研究しなければ−と思っています。
藤田 臘についてはどうですか。
山口 一時臘に色が差し込んで困ったことがあり、密臘を入れても全然効果がありませんでした。
村上 異常気象ばかりでなく、あの年の臘のなかに水分が入っていたのが原因でないかと思っています。やっぱり一番いいのはロウソクです。
山崎 臘の善し悪しは、割って見るとよくわかります。
藤田 完成して台上げをするときが、一番さっぱりする瞬間です。まもなく下から見れるためアラにも気付きますが、みなさんの完成時には、どんな気分ですか。
北山 出来上がるまで苦労しているので、感無量の気分です。 村上 仕上がったとき本当にやれやれです。
工藤 ほっと一息ですが、照明が入ったのを見る時が感動
する瞬間です。
藤田 扇の難しさは…。
寺口 扇は平面なので、立体感を出すのが大変です。
山崎 今にして見れば、本当に面倒な気がします。弘前と違い背景に白い部分を残していないので、昔とはその点でも変わってきました。ともあれ、子供たちに夢は与え続けたいとは常日頃から思っています。
村上 構図には、いつも苦労せられます。伝統といっても同じものをそのまま作ったのでは進歩がないでしょう。変わっていくのが時代の自然な流れだと思っています。
山口 これが、黒石ねぷたというものを作り上げる必要があります。審査があるのでどうしても同じになるような気がします。
工藤 新しいものもあるが、審査があるので囃子のように同じくなりがちです。
藤田 笛のあや、太鼓の微妙な叩き方などで特色を出している団体もあります。
山崎 審査で賞に入るとその形が、変に普及していく傾向はあるような気がします。
藤田 審査を意識せざるを得ないので、ワクにはまるように
なるジレンマみたいなことは確かにあります。
寺口 昔は、銅賞でも取ろうもんなら本部の事務局にどなりこんで、銀賞にしてしまうこともありました。審査があるのでいい意味での競争原理が働いてくる面も否定できません。
山崎 賞に入らないと町内に苦情をいわれ、偉い目に遭うこともあります。市長賞がでてから、連続の最高賞獲得は本当に難しくなっています。
北山 囃子とねぷたが審査ではト−タルされますが、別々でもいいような気もします。
藤田 まとめたいと思いますが、最後に一言だれかお願いします。
村上 青森・弘前と違い、PR全然少ないので物産展などもこまめに活用する必要があります。また、会期をもとの一日からにして欲しいと思います。
藤田 目の前にビ−ルも出ましたので、あとは飲みながらいい足りないことを話し合いたいと思いますので、第一部はこれで終わります。ありがとうございました。