扇ねぷたの描き方

 

人形の作り方

 

 

 

  扇ねぷたの描き方

 

《鏡絵》 絵師は、『絵本通俗三国志』(葛飾載斗挿画)や『北斎の絵本』(岩崎美術社刊・全十巻)、『国芳の絵本』(同社刊)など、ねぷたの題材・手本となる書籍をもっています。これらの本から気に入った絵や構図を選び、これをベースに更にイメージを広げ、原画を描きに入ります。

 主人公を中心に配し、安定した構図を基本にしながら、下絵を完成。ベテランになると、頭に描いた絵柄を真白な画布にそのまま荒描きして細部を仕上げ、初心者は写真を模写しながら、さまざまな技術を学び取っていきます。

 画布は、大ねぷたの場合は、九十p幅のさらしを縫って作りますが、たいていは、業務用の障子紙(九十p・五十m巻きのロンテックスなど)を糊で張り合わせます。

 鉛筆で墨の部分と蝋を区別しながら、まず下描き。顔・手・胴など、墨汁をたっぷり吸わせた太筆や平筆で気合いを込めて描き上げていきます。大きな絵のため、何度も見直しながら、躍動感を出す筆の勢いなどへ特に注意を払います。

 刀や槍・飾りなど、蝋で描く部分は、墨描きの前に入れてしまう場合もあります。絵師がその個性と美意識を発揮するのは、やはり顔の部分でしょう。顔の描き方で絵師が誰であるかを容易に判断することができます。髪は、荒々しさを出すため、四方八方へ散らす感じで描きます。ちなみに髪の毛用の筆は「ボ

タン刷毛」といわれるもので、多少加工して使用。

 

《蝋入れ》 光が蝋を通して漏れることで、ねぷたの極彩色が浮き上がり、しかも出来の善し悪しを大きく左右するため、根気と繊細さを要する作業です。墨絵に沿って蝋を入れ、細部の模様を描いていきますが、温度が適正でないと色が乗りやすくなったり、色が蝋の下に差し込んでいくため、温度管理は、長年の感が必要です。

 

 パラフィンや使用済みの蝋燭などを電熱器で融かしますが、この蝋の中にみつろうや銀粉を入れる絵師もいます。蝋が色をはじきやすくする効果や昼間でも蝋が見えるためですが、一般的ではありません。蝋用の筆の柄は、竹製を使います。新しい筆を蝋用にするため、弱い温度でまず、なじませます。

 蝋は、直射日光が当たると、周りに融けるため注意が必要。また、蝋を描き終えた紙の上を無闇に歩くと色が紙にうまく差し込んでいかない場合もあるので、気をつけなければなりません。

 

《彩色》 蝋を入れ終了し、いよいよ彩色です。水によく融ける市販の染料を使用。かつては食用の染料などを使いました。乾くと色が薄くなりますので、色の濃度は微妙です。ねぷたの場合は、塗れたままの色上がりが照明を入れた際の色調になるので、一つの目安でしょう。また、暖色と寒色を交互に配することも絵を引き立てる上での基本の一つ。

 色は、黒に加え赤・青・記・緑・紫・茶の七色が基本で、原色をそのまま使うのを好む絵師や混ぜてさまざまな色調にする絵師など、それぞれの感性が表出されます。

 彩色の基本は、ボカシです。筆の片方に水、もう片方に色を含ませ、新聞紙にこすると筆の中間部で色と水が混ざりあい、きれいなボカシを出せます。ボカシの方法としては、まず水を塗ってから色を差していくのも、多少手間はかかりますが、一般的な手法です。

 色をつけると、蝋の上にどうしても色が付きますので、濡らして絞った筆やティッシュで拭き取ることも大切です。乾いてからでは、拭き取れません。絵師によっては、照明が入ってから蝋の部分のギラギラをふせぐため、そのままにするケースもあります。どっちが良いかは、好みでしょう。なお、完成した絵は、照明が入ると入らない昼とでは、雲泥の差があります。

 

 

《見送り》 見送りは、女性が題材です。男の絵は、喧嘩ねぷたといわれ、昔は描かれたようですが、最近はあまり見られません。題材は、浮世絵・三国志などですが、かつてのように生首を持ったおぞましい素材の絵は少なくなりました。大きなねぷたになると、下から見上げて見られるため、顔を少し大きく描いてバランスを取ります。描き方は、鏡絵と変わりませんが、背景は余白として残すのが大半です。華麗さの強調と絵の善し悪しを左右する蝋入れには、鏡絵以上に気を使います。

 

《袖絵》 見送りを取り囲む絵です。龍・虎・七福神・唐獅子・鳳凰・松竹梅・火事・山紫水明・地獄など、多種多様です。最近は、袖絵に個性を出すため、絵師も相当苦労しています。近年、この部分が、ねぷたの特徴を出すため、重要視されている傾向が強いといっても過言ではありません。左右の調和や見送りえとの一体化なども十分考慮に入れます。

 

《開き》 牡丹絵を描きます。デフォルメした図案の牡丹を描く場合もありますが、たいていは、津軽藩の家紋である具象化した牡丹をそのまま描きます。花弁の枚数が、弘前と黒石では違うともいわれますが、あまりこだわっていないのが普通。絵師によって描き方は、皿の大きさの違いもあるため、相当違っています。

 花の周りは、黒を塗り、蝋の丸点が変化をつけています。ちなみに丸点は、割箸に綿を巻き、その上をガーゼで覆った手製の筆を使います。筆よりもはるかに同じ大きさのきれいな点をつけることができます。

 

《額》 周りを雲で囲み、中央に武者絵を描きます。横に細長いため、図柄には、苦心の跡が見られるものも特徴でしょう。正面には、「雲漢」と墨書き。「天の川」や「宇宙のすべて」などの意味があります。

 

《肩》 上部には、「交通安全」、「〇〇ねぷた有志」ーなどを書いてますが、かつては、「天の川」や「七夕祭り」が主流でした。墨の周りには、蝋をかけます。下部(雲)は、大きな雲を描くのが普通です。

 

《照明》 今は、発電機だけになっています。大きなねぷたは、十〜二十キロワット、小さいものでも五キロワット。四十ワットの電球をある程度絵から離し、骨組みの影や電球の形がでないよう工夫しながら、配線していきます。通常は二十〜四十ワットの電球を使います。

 

《紙張り》 ねぷたの骨組みは、一度作ると何度も使えるため、経費の面でも人形と扇は比較になりません。張るときは、町内会やねぷた会が総出でかかります。絵をバタバタさせないため、テグスを張って絵を挟みます。きれいに張るために、あえて湿気の強い日や夕方に作業を行います。昼間よりは、絵にしわができにくく、アイロンをかけたようになるのが大きな理由です。

 

《台車》 ねぷたの大きさに制限があるため、その条件の中でいかに大きくするかが大きな課題で、さまざまな工夫が見られます。

 皿を折たたむ・上部を折たたむ・回転させる・チューンブロックや油圧で上下させるーなど、多種多様です。

 

《小屋かけ》 扇の場合は、ねぷた時期直前にかけるケースが多いといえます。電気配線に間に合えば、特に問題がないからでしょう。

 

《その他・一》 絵を描く場合は、下に新聞紙を敷きますが、折り目があると描きにくいため、重しをのせておくくなどしながら、貯めておきます。また、彩色で失敗した場合は、下に濡らしたティッシュを敷いて、上から濡らしたティッシュでたたくと、たいていの色は抜くことが出来ます。乾いてから、もう一度塗りなおすことが可能です。

 

《その他・二》 扇には、古来から神を招くという観念もありますが、絵を描く側にとっても、四角などと違い、安定感や広がりを持たせてくれるーという点からいえば最適な形でしょう。

 誰が最初に扇型のねぷたを考案したか分かりませんが、今日のように定型として定着し、しかも勇壮な題材を絵にすることで邪気を払うーということを考え合わせれば、扇以外の形はまず考えられません。

 

 

 

 

  人形の作り方

 

 

《下絵》 年が明けると絵師は人形ねぷたの構想作りに入ります。正面から見た下絵を何度も書き直しながら、イメージを具現化。出来上がるころには、すでに立体図が頭の中に描き終わっています。下絵は、顔や手足の大きさなどのバランスを製作中に確かめる上で役立てます。

 

 

《材料》 昭和四十年ごろまでの人形は、割った竹や針金を組み合わせた竹を使って作っていましたが、青森ねぶたの影響もあり、その後は全面的に針金を使用。針金は、細工が簡単にできることや照明が蝋燭やカーバイトから電球に変わったことが主流になった大きな理由です。

 さらにつけ加えれば、竹の場合、紙張り用の紙テープを巻かなければいけない手間があるのに対し、針金でも白玉粉を使えば紙がピッタリ接着できる技術の発見も見落とせません。

 針金と針金の交差する箇所では、二つ折りにした約十二pの綿糸にボンドを塗り巻きつけて固定。そのまま固まるのでわざわざ結ぶ必要がないことも特徴としてあげられます。今日では、顔や手の部分に限られていますが、糸の場合、どうしても紙を張る際にでこぼこができるため、溶接することも試みられています。

 糸の結び方や針金を台に固定する方法は、別図のとおりで、手慣れているとペンチを自在に操り、ケースバイケースで処理していきます。

 

《骨組み・その一》 人形を組み立てていく台は、ねぷたの大きさにもよりますが、一寸五分〜二寸角を別図のように組み、顔の部分から支柱を立てていきます。顔は、事前に作っておいてバランスや角度を見ながら、最初に固定します。衣服・腕・足は、支柱を伸ばしていきながら順次骨組み。

 支柱を伸ばす際に、木と木の固定には、釘や針金を使います。しかし、どうしてもぐらつきやすいので、今日では長いビスを使用。充電式のドライバーの普及がねぷた作りを少しずつ変えてきたともいえましょう。

 

《骨組み・その二》 面は、ねぷたの出来・不出来を決めるため、自宅のアトリエなどで別に作ります。後で紙を張りやすいようにすることも十分考慮しながら仕上げるほか、照明が入ったとき針金が影になるため、針金の組み方も左右のバランスにも配慮。

 かつては、丸い輪を作り、後で固定する方法が取られていました。今日でも出来ないことではありませんが、作っていく過程でバランスを保つために、まず最初に台へ取り付けることから始めます。

 手は、針金の組み方が非常に細かいため、時間を要することから、面と同様、別に作ります。自分の手の型をモデルにしながら、作業を進めていきます。

 腕や衣服と違い、固定して作れるようなものでないため、キッド化することになります。

 刀や馬のたずななども後で付け加えることが出来るため、ねぷた小屋でキッド化。大まかにまず作ると、今度は紙を張りやすいようにます目をやや細い針金でメッシュ状に組んでいきます。

 手足は、台からはみ出すように意識して作るのも昭和四十年ころからで、迫力を出すために不可欠なものでした。それまでは、人形を別に作り、台に固定する方法が一般的で、今日の横広がりと違い、高さに制限がなかったため、台が高ければ、人形も高いといった形のねぷたが主流となっていました。基本形態が縦長から横長へ移行したといえます。

 

 

《照明》 針金が完成すると、電球の取り付けに入ります。たいていは電気屋に依頼。場所によって電球の種類を変え、しかも電線が熱をもたない範囲の許容量で、配電盤へ持っていきます。

 内部の木組みの影を出さないことや紙から一定距離を保つことにも配慮。針金の切り口が刃物のようになっているため、切り傷の絶えない作業です。

 

《紙張り》 電気作業が終わりしだい、紙張りの作業に入ります。紙は、和紙(杉原)を使います。熟練した絵師お抱えの女性が主に担当するのと、町内で担当する二通りがあり、ます目ます目を手慣れた手つきで埋めていきます。紙張りのための足場を組み、上から下へと、しかも張りにくい場所から張っていきます。

 貼り方は、それぞれ違いますので、二つの方法を紹介しましょう。

 ◆針金の形が見えるように電球一個をつり下げて、紙を押し当てて型を取ります。その紙をはさみできれいに切ってから、白玉粉で作った強力な糊を歯ブラシや指などで針金の幅をはみ出させないように気をつけながら塗っていきます。塗り終わると型を取った紙を張り付けます。

 ◆最初から針金に糊を塗って、大ざっぱに切った紙を張り付けます。ハサミとカッター・カミソリを使って切り取ります。熟練者になると、紙一枚分の厚さを切る技をもっているため、すでに張ってある紙を下にしても傷つけることはありません。この方法は、どうしても刃物に糊がつくため、塗れ雑巾が必需品となります。

 

〔難しいところの紙張り〕 顔や手はどうしても型を取って張る方法が出来ないところもあります。この時は、紙をだましながら曲線に合わせなければいけないため、ハサミで細かく切り込みを入れながら、少しずつ骨に合わせて張っていきます。こんな所を担当すると、一枚張るにも相当の時間を要することになります。

 顔や手・髪などは、座って作業出来ない場合も多いので、相当時間がかかるのと同時に足腰も疲れるわけです。紙張りが終わると、それまでグラグラしていたねぷたもびくともしないほど固定されます。

 

 

《墨入れ》 絵師にとって墨入れは、神経を特に集中しなければいけないため、たいていは、ねぷた小屋に人を入れないで作業します。竹で作ったころのねぷたにとっての墨は、その形を補正していく上で重要な作業でした。今日でもそうですが、筆勢がねぷたにまず生命を吹き込み、その絵師の技量を問われかねない大事な場面でもあります。

 大小の唐筆と平筆を交互に使い分けながら、筆勢の強弱を表現。衣をいかに衣のように、筋肉質の腕をいかにたくましく表現するかが、大きなテーマとなっています。ここまでくると、下絵は無視され、さらに練り上げられた絵師の感性が表出されます。

 

 

 

《蝋入れ》 まず、墨の線に沿って蝋を入れをします。蝋書きでは、扇同様、ねぷたの出来・不出来を左右し、気を抜けません。しかも、平面の扇と違い、ねぷたの形に合わせて、窮屈な姿勢で作業しなくてはいけないのも人形の製作過程の特色です。

 蝋は、ガスコンロや電熱器などで温め、通常は、二つ以上蝋を入れる缶を準備。冷めるとすぐに新しいものと取り替えます。模様については、厚紙を切り抜いて型を作り、鉛筆で下図を書くのが特色です。型紙かあると、模様が同じに出来るほか、作業の能率も大幅アップする利点があります。

 

《色付け》 蝋付けが終わると、最初の色付けに入ります。大小の唐筆と平筆を使いわけ、着物の裏地などは、エアーブラシ(かつてはキンチョールなどの噴霧器)があるため、筆とは違う趣のボカシが出来ます。しかし、周りにも色が飛ぶため、不必要なところは紙で覆い、着色を防ぎます。

 和紙の杉原は、水分を含ませるとちょっとした力でも穴があくほどもろく、何度も筆を重ねることは出来ません。それだけ、技術の高さを要求されるということでしょう。

 色は、和紙の切れ端に塗って、電球の光を通しながら何度も気に入った色にするための試行錯誤が続きます。昼間でもそれなりに見せるため、ポスターカラーなどの顔料を染料に混ぜる場合も少なくありません。蝋の上についた色を拭き取りますが、取るか取らないかは、扇同様で、絵師の好みよって違います。

 

《見送り》 青森ねぶたと違って黒石ねぷたの人形は、後の部分に結構精力を使っていることに大きな特色があります。

 形は、岩木山を表しているなどの説がありますが、定説はありません。扇と本質的には変わらない考え方で製作。少し凝ってくると、後の部分も立体的に作ります。一時、扇ねぷたでも立体的に針金を組んだねぷたが試みられたこともありました。通常は、三つに分割し、真中の見送りとは独立した構成の絵が一般的ですが、見送りの周りにも人物を配することが多いのは一つの傾向でしょう。

 

 

《台》 五段で構成されている台は、高さが制限されてから、三段・四段の時もありました。山車の影響ともいわれ、黒石の人形にとって最も特徴的な形の一つでしょう。下から、額・開き・額・開き・高欄とそれぞれ名前がついているようですが、三段・四段の時は、上部の額や開きがなく、光が漏れないよう応急措置的に紙が張られていました。

 まず、額と開きは、扇とさして変わりがありません。ただ開きが扇と違い一段しかなく、牡丹の絵が書かれます。額には、武者絵を書き、上の開きには、別図のように蝋線で仕切った三色が塗られるほか、鳳凰などを描く場合もあります。

 高欄には、十六本の角がつき、神社・仏閣の回廊イメージが感じられます。上の方に長い、下の方に短い角が付きます。ます絵は、デフォルメされた波や松・竹などを蝋で描きます。この部分は、たいていが下絵を置いて描くため、すべて同じ形で、背景は、黒が一般的です。

 これら五段の台は、一度作ると、ねぷたの寸法が変わらない限り何年も使え、毎年、描き直しをして使っています。

 台の高さは、ねぷた全体の高さが制限されていることから、年々低くなってきました。かつては、台車も含め、二mもあったものが、今日では、相当大きい人形でも、台車の高さを加え、一・五m以内です。それだけ、平坦になったといえますが、額や高欄が極端に狭くなったため、絵師もその枠に納める絵で苦労することになりました。

 

《台上げ》 本体を台上げしてから、下の台を組み立てていきます。台の方は、台上げしてから照明作業を行い、発電機の能力によっては、電球と蛍光灯を使いわけます。

 ここまでくるには、ねぷた出陣の早くても二〜三日前で、なかには、ねぷたの会期が始まるその日にようやく出来ることも少なくありません。

 

 

《その他》 人形は、そのまま固定して動かないのが普通ですが、人形の一部が動くような工夫も試みられています。横にレールに乗って動く仕組みです。また、県外へ出陣する例もあり、運搬を考えて、分割出来るような人形も作られています。時代とともに往時では、考えられない人形ねぷたが出現していることも、黒石ねぷた発展にとって決してマイナスにはならないでしょう。

 台車の仕掛けでは、扇のように上下するものもあり、すべてはクルクル回るように作られています。観客へのサービスや狭い場所の運行で大きな威力を発揮します。

 

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 扇・人形ねぷたとも、会期が終わると、大半は壊されますが、浪岡町や南津軽郡・北津軽郡などへお嫁に出すねぷたも少なくありません。気の遠くなるほどの時間をかけ、そして多額の経費をかけて作る人形を新しく作ることは大変なことです。会期が終われば、壊される運命のねぷたが、よその町や村の祭で、再び脚光を浴び、この子どもたちに夢を与えていることは、喜ぶべきことでしょう。